酔歩する男

 前記事の「玩具修理者」に収録されているもう1編について今日は書き殴りつつ、これを雑記と致します。
先日、飲みの場で久し振りに酔っ払ってしまい、西新宿でフラリフラリとしていたのですが、その時には気持ち良い気持ちで、この作品の事を思い出していたのであります。
 タイトルは「酔歩する男」・・・こちらは中編となっており、本の大半がコレで占められているのですが、個人的には1話目より好きだったりします。

 コチラも回想という形式で展開し、導入はかなり似通っています。
興味を引かせるポイントも「飲み屋で出会った男は私を知っているというが、私は知らない」という相互の認識のズレであります。
不可解な言動を繰り返すその男の話を聞き、自身の失われた記憶をサルベージしていくのですね。

 ジャンルはホラーとも呼べますが、もうこれはSFでしょう。
それもかなり傑作の部類のSFで、その独特の解釈は素晴らしいの一言。
もっと核の所まで語りますと、要は「タイムスリップもの」なんですね。
そのタイムスリップの解釈が非常に私は気に入っております。
タイムマシーンとか時空乱流とかそういう事では無く、本来の自分が持っているモノを壊す事で生まれる能力という解釈なのです。

 つまり、我々は時間は連続体だと脳によって認識させられているにしか過ぎず、その部分を破壊してしまえば過去・未来を問わずに、意識は時間を飛び回るというのです。
そういう予想外の所からブチかまされる妙に説得力のある理論に彩られた本作、面白くない筈がありません。

 その昔、友人同士であった2人が、1人の女性を愛した事に端を発し、またその女性の死から話を動いて行きます。
詰まり、女性を生き返らせるべく奮闘する内に行き着いたのがタイムスリップだったのです。
この辺りで面白いのは“立場の逆転”。
序盤では明らかに突如として現れた男(友人)が異常で、回想の途中辺りから主人公の方が異常者へと変貌して行く点。
そして、また友人が異常者となり・・・という無間地獄が繰り返されるのですが、ここは面白い。

 我々は何かの世界を垣間見る時、常人を求めます。
それは感情移入出来る存在と言って良いのかもしれませんが、とにかくそれが揺れに揺れるので困惑してしまい、それこそタイトル通り酔歩しているかの様な感覚に陥らせます。
展開される理論の数々も手伝い、段々と世界は狂い、着地点への期待は強まります。

 本作の怖い部分を挙げておきましょう。
「タイムスリップの代償」です。
眠れば、意識を失えば、脳の機能は弱まり意識は勝手にタイムスリップしてしまう。
記憶が通用しない微妙にズレた時間・世界に飛ばされてしまうのです。
意識を失えばという条件によって、死ぬ事も叶いません。
永遠とも呼べる時間を生きなければならない苦痛は想像するだに余りあります。

 この恐怖は「玩具修理者」と同じく、我々に薄ら寒い疑問を提起してきます。
今、我々は正確に時間の流れの中にあるのだろうか?
何かズレが生じてはいないか?本当に私は昨日から来たのか?
・・・本作はSFとしても、ホラーとしても素晴らしい出来の作品である。

 と、存分に「酔歩する男」を語ったので、雑記に戻りましょう。
酔いながら斜めに傾いた世界を歩きつつ、この話を思い出したよ・・・というだけの下らない話なのですが、ここに書き留めておきたいのは飲みに行った飲み屋の事。

 西新宿の今井屋本店。
狭い道の地下でひっそりやっているお店ですが、ここのお酒と食事は最高ですね!
どれもお高いので流石のクオリティですが、個人的にはフルーティなのにアルコールも忘れていないバナナカクテルや、食事だと銀杏や親子丼がオススメ!
親子丼なんですがね。
玉子がトロットロで鶏肉はホッロホロ!お米も美味しいんですよ、とにかく!
鮮度が良いんですかね、物が良いんですかね。全てでしょう。
オススメ。

玩具修理者

【玩具修理者】
著:小林泰三
文庫:221P
出版:角川文庫


 あの黒い背表紙が激目立つ角川ホラー文庫から出版されている短編小説です。
作者は小林泰三氏。
SFを得意とする作家さんで、その中にクトゥルフ神話や普遍的な怪奇を織り交ぜる独特の内容が特徴的であります。
氏の作品で私が最初に触れた作品がコチラのタイトルで、当時、かなりの衝撃を受けた事を鮮明に記憶しています。
そして、今も尚、私の中で生き続ける作品の1つでもあります。

 収録されているのは、表題作の「玩具修理者」と「酔歩する男」の2編。
特色は違えど、2編とも非常に不気味であり、そして美しく、何より面白い。
先ずは最初に収録されている「玩具修理者」について書き綴って参りましょう。

 ストーリーを単純に説明致しますと、町には玩具修理者と呼ばれる“何でも直す人”がおり、事故で幼い弟を亡くしてしまった姉が親に叱られまいと「弟を修理して貰おう」とする話です。
この時点でヤバい感じがムンムンして来ますが、その感覚は最後まで貫き通されます。

 また、この話は回想形式を取ってまして、2人の男女の女性側が話す昔の話という構成なのですが、最初にコレを持って来るのが上手い。
女性はいつもサングラスをしていて、「その理由」が回想なのです。
嫌でも気になるじゃないですか、冒頭でそんな不自然を叩き付けられたら。読むしか無い。

 かなり淡々とした姉の語り口と、その歪みに歪んだ世界観のギャップが本作には大いに役立っており、特にそれが顕著なのは前半部でしょう。
姉と女性はイコールで結ばれるのですが、彼女が死んでしまった弟が乗った乳母車を押しながら、何処か陰鬱で灰色の空気感が伝わって来る静かな街を彷徨う前半部がギャップの活きる所。

 姉も怪我をしているので段々と体の一部分が崩れて行き、それを更にじわじわとした暑さが追い打ちを掛けて行く地獄みたいな描写が続くのですが、語り口自体は至って冷静。
しかもシンプル。
一切の妥協ない狂気染みた世界を演出し切ってる様に思われます。

 話は何とも言い難い着地点を見せて、どう解釈すれば良いのか、或いはどう反応すれば困るのですが、描いているテーマは明確。
「何処から命で、何処からが命ではないのか」
これに尽きると思います。
終わり方は正にそれに対する皮肉の様にも感じられます。
死んだ後に修理された弟は、姉の要望通りに“修理”されましたが、指定されなかった「用を足す事」や「成長する事」は出来ませんでした。しかし、生きている。

 この命題が本作を面白くしていると断言します。
正体不明の玩具修理者は恐怖の対象ではなく、普遍的な“命への問い掛け”こそが恐怖に繋がっているのが恐ろしいのです。面白いのです。
命は何処に入っているのでしょうか?