芋虫/江戸川乱歩ベストセレクション2

【芋虫/江戸川乱歩ベストセレクション2】
著:江戸川乱歩
文庫:196P
出版:角川文庫


 江戸川乱歩の短編集です。
「芋虫」「指」「火星の運河」「白昼夢」「踊る一寸法師」「夢遊病者の死」「双生児 ──ある死刑囚が教誨師にうちあけた話──」「赤い部屋」「人でなしの恋」以上の9編を収録しています。
今回はこの内から4編を紹介したいと思います。


 【芋虫】

 表題作です。
戦争で四肢と殆どの五感を失ってしまった、それこそ芋虫の様になってしまった男と、その妻の狂気染みた小さい世界を描いた傑作。

 先ず、この作品をどう解釈すれば良いのか難しい所であります。
男の有様に対して、次第に嗜虐心を覗かせる妻の様子が克明に描かれており、陰鬱な気分にさせられますし、夫の眼の輝きを畏れた妻がそれを潰すという救い様の無い残酷にも息を呑みます。
最後の締め方にも、それこそどう反応すれば良いのか・・・唖然とすること必至です。

 私が思うにこれは極上にして変態的・倒錯的なラブストーリーではないかと。
妻が夫の事を愛していたのは端々の描写から窺い知れる所であり、一方の夫もその心情描写は一切ないにせよ妻を愛していた事は先ず間違い無いと思われます。
 何かが、色んな要素が重なって崩れた均衡に狂気が生まれた事は想像に難くないのですが、妻は夫の目を潰した後に「ユルシテ」と伝え、夫も後に「ユルス」と答えています。

 夫が守りたかったモノは何だったのか?それが焦点です。
妻に対する「ユルス」もその自由が利かない肉体で死に物狂いで柱に書き殴った事、そして、最後の結末を見るからに壊れて行く自分の中の何かから自分を守り、同時に妻への愛を守った様に思えてならないのです。
どうしましょうね、書いてて凄い切ない気持ちになって来ましたよ。

 夫は妻を愛し、そして自身が妻を追い詰めると解し、自身もこのままでは妻も含めて全てを憎みかねないという苦悩。
妻にしろ、終始、夫の気を惹きたかった様に見えなくもありません。
これは、私にとって最高にして最悪のラブストーリーです。


 【火星の運河】

 ちょっとコレは不思議です。
何がと言いますと、何度読んでも直ぐ内容を忘れます。
そして「美しかった」という曖昧過ぎる感想だけが残るのです。

 面白いとか面白くないとかそういう話はまるで出来ず、ただその情景描写力の尋常ならざる高さを以てして「美しい」という感想に集約させる怪作。


 【赤い部屋】

 傑作!
赤くて暗い部屋に集まった複数の者達が、今までに自分がやった「悪いこと」を次々に語って行くというチョット常人には理解出来ない組み合わせ・シチュエーションで展開される物語です。

 中心となる男の犯罪は、それこそ罪に問う事が出来ないチッポケな完全犯罪ばかりで、しかし、その全てで犠牲者が出ている。99人が彼の手によって殺害されているのです。
この犯罪の内容が「えげつないけど凄いなぁ」と普通に感心してしまう程に、良く出来ています。

 そして、「100人目は誰か。悪いことの着地点とは。」という話で、オチがつくのですが、ここも見事!素晴らしいです!
未だに私の中で整理し切れていませんが、この不可思議なオチには色んなメッセージや思想が盛り込まれている様に思えて仕方がありません。
只の気分が悪い話で終わらない、考えさせられる1編と言えます。


 【人でなしの恋】

 これは外せませんね。
美しい夫、嫁いだばかりの妻、そして人形。この三角関係を描く怪作。
何処を語ってもネタバレにしかならない気がするので多くは語れませんが、これもまた愛情(それもかなり倒錯的な)を真正面から描き切っていると思います。

 奇妙で、切なく、何処か美しい短編ながらも卓越した筆致で描かれる乱歩ワールドの完成系の1つではないでしょうか。

「超」怖い話 怪歴

【「超」怖い話 怪歴】
著:久田樹生
文庫:235P
出版:竹書房


  加藤一氏と平山夢明氏から始まった実録怪談小説シリーズの中でも、最もお気に入りの1編です。
形式としては、メインストーリーとなる話数本と小話数本が収録されており、メインは冒頭に体験者に対するインタビューの様子が書かれています。

 本書の特徴は、その淡々とした語り口に尽きます。
非常に突き放した視点から文章が綴られており、何とも感情が無い正に記録という感じに仕上がっています。
その視点が絶妙な怖さに繋がっている点は注目したいです。

 今回、数ある話の中から3編を紹介させて頂きます。


 【かやせの家】

 最初を飾る1編。
兎に角、実話らしいのでオチや答えが無い話が多いのが本書の特徴でありますが、これも同じくであります。
 始まりはトイレに出て来る老婆の生首。「かやせ」と呟くのですが、それが何を意味するのか、そもそもこの老婆が何者かすら不明。
そして、話はどんどん進展して行き、父親の異変でそれはピークを迎えます。
これが怖いのです。

 時折、体験者の父親は苦虫を噛み潰したような顔になって固まる事があるのだとか。
そして、父は仕事を休みがちになり、しかし何処かへ出かけて行く。時には暴れる。
その内に父は衰弱し、死の前日に息子である体験者にある事を打ち明けます。
 代々より家長に続いて来た因縁である事。正体はもう誰にも分からない事。そして、柏手の音が聞こえ出し、その音が変わったら用心しないといけないという忠告。

 この忠告が個人的には、正体不明の怪異以上に怖く感じました。
何がって意味が分からないからです。
柏手のパン、パンという音が突如として自分にだけ聞こえ、そしてその音が変わったら危ないというどうしようもない感じと意味の不明さが怖い。
 我々は理解出来ないモノを恐ろしいと感じる傾向にある様に思えます。
理解出来ないという事は対応が出来ない、即ち死の可能性すら出て来るからでしょうか。
漠然とした不安ほど怖いモノはありません。

 そういう恐怖感が決まっているお話ですね。


 【メメント・モリ】

 ホームレスの3人組の内の1人が語る不気味過ぎる話。
彼等は重度のアルコール中毒で、金も無く酒が買えないので何と墓場に供えられたワンカップ酒を盗み飲みしていたというのです。

 先ず、ここの描写が何とも言い難いリアル感に満ちています。
酒の味だの、雨の日で薄まった酒だの、ボウフラ湧いちゃってるけどそれはそれで美味いんだよとかリアル臭い癖にどうでも良い記述がどうも私の心を掴みました。

 当然、そんな罰当たりな事をしてたらどうなるか・・・という話で、その締め方も不気味で且つ救えません。
アル中なんてダメですよ、と謎の教訓を得た様な気分です。


 【果報】

 最強に気分が悪くなる最後の大トリ。
得体の知れない木彫り仏像が一家の手に渡り、それから次々と家族が狂って行く様子が淡々と描かれて行きます。

 喧嘩の様子や狂気に陥って行く母を筆頭とした人物の描写が余りにも真に迫っており、非常に不気味。怖いです。
祖父母が、父が、と順々に謎の死を遂げて行き、母は亡くなった祖母の様に木彫り仏像を祀り上げてお祈りを捧げ続けるという、ちょっとした危ない新興宗教ものの様な展開も挟んで来るので、実に胸糞悪し。
ありそう過ぎるじゃないですか、というかあるではないですか。
信仰にどんどん洗脳されて行くなんて事が日常茶飯事、あらゆる所で。

 特筆したいのはラスト。
最後に残った主人公の女性が木彫り仏像の怪異に追い詰められ、遂には死んだ筈の家族たちが現れる場面。ここの恐怖は凄い!
読んでて鳥肌が立ちました。
 家族が出て来るんだったら良いシーン?とんでもない!
明らかに悪霊と化しており、祖父母や父母の描写が余りにも醜悪で余りにも毒々しいのです。
ここはもう読んで貰うのが早い、異常過ぎる空間をここまで描き切った作者に拍手。

 兎に角、怖い。タイトルに偽りなし。
得体の知れない邪悪な恐怖に満ちた短編集です。
体験者たちは今・・・どうしているのだろうか・・・?

脳髄工場

【脳髄工場】
著:小林泰三
文庫:312P
出版:角川書店


 「玩具修理者」でブイブイ言わせていた小林氏の短編集。
収録されているのは全部で11編。多い。
「脳髄工場」「友達」「停留所まで」「同窓会」「影の国」「声」「C市」「アルデバランから来た男」「綺麗な子」「写真」「タルトはいかが?」以上11編。
今回は、この内から3編を紹介させて頂こうと思います。


 【脳髄工場】

 表題作です。
先ず、その世界観が独特で引き込まれます。
 簡単に説明しますと、世の中から犯罪を無くすべく発明された「人工脳髄」。
コレは怒りだとかそういった感情を抑制する機能を持ち、脳に直接叩き込む事で善人へと変貌させるのです。
犯罪者に取り付ける事から始まり、寧ろ社会的信用が人工脳髄を搭載した元犯罪者の方が一般人より上になってしまいました。
そこから一般家庭にも人工脳髄は普及して行った・・・
 という、悪夢の様な世界観。
こんな頭出しの時点でもう嫌でも引き込まれるではないですか。

 本作は「自己同一性」に問いを立てるモノと解釈して良いでしょう。
自由意思、自分とは何者か。
感情の抑制は結構な事ですが、それによって私は私ではなくなるのでは?という恐怖を描いています。
 主人公は人工脳髄の装着に抗って、自分の存在性を求めて奔走するというメインストーリーは感情移入の余地が大いにあり、恐らく私もそうするに違いないという共感を生みます。
故にこの結末には息を呑まざるを得ませんでした。

 また、本作は非常に生々しい。
何がと言えば描写が生々しい。主人公の友人が人工脳髄を装着されるシーン等はそれの最たるモノで何とも生々しく、えげつない名シーンと言えましょう。
脳に直に太い鉄の塊みたいな機械を叩き込むなんて考えるだけで恐ろしい。
 そんなストレートな描写は勿論の事、主人公の孤立して行く過程などにしても生々しい。
友人が主人公の世界から消え、恋した女性も消えて行く。
人工脳髄の無い者の孤独を実に生々しく描いているのは素晴らしい。

 本作にも健在な普遍性は一読の価値あり。


 【友達】

 短いながらも良作。
理想の友達を妄想で作り上げた主人公でしたが、その理想の友達がどんどん主人公から独立し始めて、遂には好きな子にまで接近を開始する程に実体を持ち始めるという内容。

 これはオチが全て。
予想外過ぎるオチに「おお!?」とビックリしました。
ちょっと江戸川乱歩の様な逆手に取る様なオチの付け方で気持ち良いです。


【C市】

 小林節、炸裂。
突如として現れた「C」と呼ばれる存在から世界をどうにか守ろうとする人類の戦いをSF的に描きます。
分かる様で分からないSF理論が展開され、遂に人類は己の意思で成長する巨大な人工生命体を開発。
Cと人工生命体の戦いへ縺れ込むが・・・という内容。

 オチを予想出来る人は沢山居るのでしょうが、私は全く読めず。
ラストでまたしても驚かされてしまいました。
うーん・・・面白い!

私は粘膜人間

 「粘膜人間」という作品を御存知でしょうか。
本書の気の狂い方は尋常ではありません。
こんな事を言ったら怒られるかもしれませんが、作者はどうかしてるのではないかと心配になる程にブッ飛んだヤバい作品が本書「粘膜人間」であります。
雑記の話をする前に、本書について少々、語って宜しいですか。

 冒頭からしてもうヤバいです。
デカくて只管に力が強い弟が怖くて仕方ない兄の2人は、弟を始末すべく河童に彼の討伐を頼もうと考えます。
しかし、河童の居所が分からない2人は、近所の変わり者「ベカやん」なる男に話を聞きに行くのだが・・・
 まだ子供の年齢にも関わらず、滅茶苦茶に強くて兎に角デカい弟というのが既に理解不能。
平然と河童という存在が出て来るのも意味が分かりませんし、そこでベカやんが河童の居場所を教えるのと交換で提示する条件もヤバい。

 終始、エロシティズムとグロテスクで展開する支離滅裂な物語で、その気分の悪さは随一。
軸になるキャラクターも次から次へと変わり、兄弟や河童や近所の女の子や件の弟という風に、目まぐるしく視点が移って行くのが余計にこの狂気の世界を確固たるモノにしています。

 感情移入は誰にも出来ません。
出て来る者全てが何処かで異常を来たしており、彼等が争い合い、求め合い、勝手に消滅して行く様をねちっこく描いているのが特徴的ですね。
 そして、そのどれもが凄惨な最期を遂げるのだから、たまったモノではありません。
まだ良識がある方かな、なんて思った人物もいきなり狂人と化したり、それこそゴミの様に舞台から消えるのでもう次のページで誰がどうなるかなんぞ分かり様も無いです。

 作者独自の造語も頻発します。
性交の事を「ぐっちゃね」と表現するのも、最早どういう思考回路で生まれたのか見当がつきませんし、理解したくもないです。
 そんな感じなので、歪み過ぎた同性愛や倫理的にどうかと思われる関係、禁忌に近い男女関係だのと次から次へとえげつないエロシティズムが展開されるのはもう辟易するしかありません。

 同時に、グロテスクも相当なモノ。
何をそこまで拘って書くのだという位に、容赦無い暴力描写や破壊描写。
その凄惨さは河童の兄弟と件の弟の対決などでも顕著で、どちらにも情状酌量の余地はないとは言え、流石に可哀想になって来る残酷さ。
読んでるコチラ側まで臭いが漂ってきそうな迫真の描写力は凄いのですが、勘弁してくれとも言いたくなります。

 終わり方にしても尻切れトンボ。
「そこで終わるの!?」という驚きに包まれた人は多いのではないでしょうか。
そして、その先が予想も出来ないので何とも釈然としない気持ちで、本書を閉じるしかないのです。

 ここまで色々と言ってますが、やはり怒涛の面白さを誇っているのは否定出来ません。
残酷で実にいやらしい内容にも関わらず、ページをめくる手が止まらないのには困ったものです。
単純にテンポが良く、それでいていちいちインパクトがある上に、先が予想出来ないと作品に欲しい要素が揃っちゃってるので、かなり楽しめてしまうのですよ。
 嗚呼、厭なモノを見てしまった・・・また読もう。

 って!なる!作品なんです!!
つい語りたくなって書きましたが、本題はそこじゃなくて。何でコレを出したかと言うと、私が自転車事故を起こした時の事をふと思い出しまして。
 当時、自転車に乗って友達の家から帰ってたんです。
小道の坂道を自転車で上りましてね、カーブがあるんで上りつつカァァァーブってやったら傾かせ過ぎて膝を思いっきりアスファルトの地面にガリガリ削られる事案が発生。

 ギャー!と泣き叫びたいものの、怪我ってどこかのラインを超えると「痺れ」になるんですね。
駄々を捏ねて病院に行かず、抗生物質だけ塗って後は包帯グルグルで過ごしてたんですが、そこが私が良く他人に「狂人」と呼ばれる部分。
 心臓もかなり弱いのですが、発作が来ても病院に行かない。バイク事故で頭打ってフラフラになっても病院行かない。何があっても病院に行かない。理由は待ち時間が暇だから。
そして、病院無しでも治るっしょ!と何と無く思っているから。
自転車の膝ガリガリも結局、膜が張り、治りましたとも。ガーゼ剥がす時に幾度も死にそうになりましたが。

 それから数年後、バイク事故で再び膝もやってしまい、今度は骨飛び出してましたが同じ方法で治しました。残念ながら骨の上に皮膚を張られちゃったので、地味に膝から何か飛び出してる格好ですが・・・
 グロテスクと狂気のブレンド、身近にあるものかもしれませんよ。
これ読んでる貴方、些細な事でも病院に行きなさい。碌な事になりません。
私は行きませんが!!

山荘綺談

【山荘綺談】
著:シャーリイ=ジャクスン
文庫:305P
出版:早川書房


 別題は「丘の屋敷」。出版社が違います。
シャーリイ=ジャクスンによる幽霊屋敷モノの傑作であり、記憶が正しければ二度の映画化がなされています。
「たたり」という白黒映画(超名作!)と「ホーンティング」という映画(微妙!)の2本ですね。
何気に1本の小説で2度の映画化は凄いと思うのですが、その辺どうなんでしょうね・・・

 「山荘綺談」のストーリー自体は単純です。
幽霊が出るとして恐れられている誰も近付かない屋敷を調査し、体験談を出版しようと目論んで、参加者を募集します。
結果、参加者は博士を含めて6名。
その中には、母を亡くし家庭内不和に嫌気が差して逃げる様に、企画に参加して来た女性も居ます。彼女こそが本作の主人公で、博士が主人公ではありません。

 本書は幽霊屋敷モノと先程から書いておりますが、その実、その本質は少し違う所にある様です。
確かに幽霊屋敷ではあります。
物が勝手に動いたり、壁に血が垂れたり、夜な夜な足音が爆音で鳴ったり――枚挙に暇が無い位に怪奇現象が頻発します。
でありながら、本作においてそこは飽く迄スパイス・・・もしくは、ある1つを描く為の前提条件でしか無い所が注目すべき所でしょう。

 最後まで読めば、自ずと本書が「孤独な女性の心理」を追求した作品である事は容易に理解出来ます。
主人公の女性は孤独です。行き場がありません。人として立派に誇れる部分もありません。
そんな彼女の心の中に巣食う闇を、これでもかと描いているのです。

 私事になりますが、私は女性を尊敬すると同時に、手に負えない存在だと認識している節があります。
総じて、我々、男性よりも頭が良く、幅広い視点を持っていますが、同時にその感情の揺れ方というのは簡単に型に嵌める事が出来ない様に感じられるのです。
男性が単純ならば、女性は複雑。そんなイメージです。

 そして、本書の主人公の心理も揺れに揺れて、私などではとても想定出来ないのであります。
加えて、その感情の真意を知れば知る程にいよいよ以て、大いに納得すると同時に恐怖すら覚える次第なのです。
 何が言いたいかと言えば、女性心理の描き方が真に迫り過ぎているのです。
表現し辛いのですが・・・納得出来る。それは浅いながら経験則から生まれる感情なのかもしれません。
女性作家が描く女性の姿は、紛れもない女性なのであります。
そこに胸を打たれます。

 恐怖描写について軽く。
本書に「幽霊」という存在は姿を見せません。飽く迄、事象。
それがより一層の恐怖を煽っているのは明確で、「ただ巨人が歩いている様な足音が屋敷内に響き渡り、それが近付いて来る」というファクターに過ぎない部分でも大いに恐がれるのです。

 特筆したいのは、そういった恐怖の演出に解釈の余地を残している所。
本当に幽霊が居たのかもしれない。しかし、居なかったのかもしれないという余地です。
全ては精神を蝕まれて行く主人公の女性の虚妄なのかもしれないのです。
余地・・・これはどんな作品であれ、あって欲しい部分かと私は思います。
少しだけ委ねられたい。そこから世界の広がりは始まるのですから。

 最後に、「共感」に触れましょう。
先に、女性の心理について云々と語りましたが、「だったらそれは女性にしか分からないじゃないか」と思われるかもしれません。
そこは、作者の抜かりない所と言えましょう。男性にも共感の余地は大いにあります。

 その正体は「孤独」。
ただ漠然と孤独を感じる事ってありませんか?私はあります。
時折、ふと孤独を感じて、無性に寂しくなります。
そんな孤独を突き詰めた先が、本書におけるストーリーの過程と結果と思わずには居られません。
人間全ての共通項、孤独という感情が「恐怖そのもの」の正体ではないか・・・なんて読み終えた後にふと感じたのでありました。

ペット・セマタリー

【ペット・セマタリー】
著:スティーヴン=キング
文庫:731P(上下巻合計)
出版:文藝春秋


 アメリカを代表するヤバい作家・スティーヴン=キングの代表作の1つ。
田舎に引っ越して来た家族が遭遇する得体の知れない恐怖を描いた作品で、それは近所にある「ペット・セメタリー(ペットの墓地)」に起因するモノでありました。
 尚、題が「セマタリー」となっていますが、コレは別に誤字ではなく、その墓地の看板に書かれた文字がスペルミスを起こしているという設定からです。
スペルミスを強調する事で、「そこ」を限定的にしているのですね。只のペットの墓地ではありません。

 概要を述べますと、その墓地の更に奥には聖域が存在し、そこに死んでしまったモノを埋めると生き返って来るという原理・原則が存在しているのです。
しかし、生き返ったモノは生前と同じ姿をしつつも中身は全くの別物、凶暴にして惨忍な怪物となってしまっています。
 という前提を知っていながら、死によって引き離された家族を取り戻そうとしてしまう悲劇の愛を描いた作品。どうです、面白そうでしょう。

 最初は猫から始まります。
引っ越した家に面する道路は、ひっきりなしにトラックが走っており、長女の飼い猫がその犠牲になってしまうのです。
父としては娘を悲しませたくない一心から、ペット・セメタリーに猫を埋葬します。
 そうして、悲劇は連なり今度はまだ幼い長男が事故死。
父の悲しみは深く深く、そして禁忌に再び手を出してしまう。

 本書は上下巻のボリュームとなっており、結構な分量になっています。
そして、ちょっとそれが活きているかと言えば微妙な所でして、割とどうでも良い部分を事細かに描いていたりとテンポ感は余り宜しくない様に思われます。
そういう部分はあるにはあるのですが、それを差し引いても重い上に「どうかしてる」でつっぱねられない同情の余地から来る愚かな悲劇に胸を打たれるストーリーは絶品。

 情です。ここが肝。
大事な者を失う悲しみ。誰かが誰かを想うという美徳が悲劇へと直結するのだから性質が悪い。
ペット・セメタリーという土地は、善良なる感情を食い物にする事より悪なのです。
そういう類の「どうしようもない邪悪さ」なので、本書を読む中での恐怖の対象はかなり曖昧。
いわば違和感と言い換える事も出来るかもしれません。
次第に狂って行く日常、美徳を穢される嫌悪感が本書における恐怖であります。

 ラストも最悪(敢えて最悪と記す)です。
どうすれば、こんな気分が落ち込む終わり方になるのか。正気を疑う様な邪悪さ。
少々の冗長さは感じるものの、このテーマ性・悲劇性・邪悪性やそれを描き切る作者の圧倒的なパワーに胸を詰まらせる物語。

人間椅子/江戸川乱歩ベストセレクション1

【人間椅子/江戸川乱歩ベストセレクション1】
著:江戸川乱歩
文庫:213P
出版:角川文庫


 私は、江戸川乱歩のファンです。
どれもこれもが面白い。面白過ぎるのです。
どんな人生を歩めばこんな発想が?このアイデアは一体?この文章力は?
特に乱歩の短編は、短編ながら多彩なアイデアと尾を引く余韻が非常に心地よく、何度も読み返したくなる様な魅力があります。

 本書に収録されている話は8編。
「人間椅子」「目羅博士の不思議な犯罪」「断崖」「妻に失恋した男」「お勢登場」「二癈人」「鏡地獄」「押絵と旅する男」が収録されています。
どれも秀逸で、生々しい人間生理を抉る話が揃っていますが、ここでは特に気に入っている4編を紹介したいと思います。


 【人間椅子】

 変態モノですねぇ。(詠嘆)
女流作家の下に届いた1通の手紙。その内容を追って話は展開して行きます。
家具職人の男が書いたらしいその告白は、ある女性を愛したが故にその人の下へ届ける椅子に潜り込んだ自身のモノ。
その告白は次第に真実味を帯び、女流作家をも恐怖のどん底へ叩き落して行く・・・

 奇想天外、奇天烈過ぎる発想!
人間椅子とはよくもまぁ思い付いたモノだと嘆息ばかりが出ます。
短く、それでいて鋭くまとまっており、女流作家の「もしや」という不安がコチラにも漂って来るリアリティは最高です。

 何より、やはりそのオチのパンチが効いています。
ここで書くのは不躾というモノですので是非に未読の方には読んで頂きたい。
やられた!ってなるやもしれませんよ。私はなりました。


 【二癈人

 余りこの話が取り上げられているのを見掛けませんが、個人的には傑作だと思っています。
男2人の会話、その一方が切り出した過去の身の上話を回想するという内容。
詰まる所、その男が夢遊病に悩まされ、遂には人まで殺めてしまった・・・というモノなのですが、そこからの展開に驚愕。

 ちょっとしたサスペンスもの、それもかなり短い話でありながら「ああ!!」と叫ばずにはいられないオチとその前振りは見事。
有り触れた、使い古されたテーマやトリックの裏をかいて描くのが得意な江戸川乱歩の手腕が遺憾無く発揮されている作品です。


【鏡地獄】

 鏡大好きマンが全面鏡で覆われた球体の中に入る話。
既に正気ではないストーリー説明ですが、本当に大体そんな話なのだから仕方がありません。

 レンズや鏡好きが度を超した男が最後にこしらえた鏡の球体の中を想像させる文章力、そして否が応でも伝達してしまう危険な香り。
“狂気”の1つの形が明確に描かれた不気味な1編です。
オチもさもありなんといったモノですが、兎に角、描写力が凄まじい。


【押絵と旅する男】

 これは少々、切ない。
美しい女性と老人が描かれた押絵と旅する男に出会った私。
その老人が語る不思議な押絵との話がメインです。

 この話は今でも十分に通用する内容でしょう。
二次元と三次元の境目というやつです。
今やバーチャルのアイドルなんて出て来てますし、それに恋する人が居ても最早、不思議でもなんでもありません。
 そんな1つの純愛の形を真っ向から描き、そして毒を混ぜ込んだ怪作。

屍鬼

【屍鬼】
著:小野不由美
文庫:2563P(5巻合計)
出版:新潮文庫


 ページ数に目玉が飛び出そうですが、コレは5巻全てを合計した数字です。
1冊でこのページ数だと手に持つ事自体が至難の業なので・・・って、そんな話はどうでも良いのです。
屍鬼、和製の吸血鬼モノで御座います。

 1つの村で始まる変死事件、それは拡大して行き、謎の伝染病では?という話に始まり、次第に死んだ筈の人が歩いてるのを見ただの「起き上がり」の噂に連結して行く。
知らない内に吸血鬼こと屍鬼に乗っ取られて行く村に明日はあるのか!?
・・・そんな話です。

 先ず、記憶では分厚い1巻は殆どを村の描写に留めていたと思います。
村はどういう場所で、どういう人たちが住んでいて・・・というのが変死事件と共にかなりゆったり綴られて行くのです。
ここでギブアップする人は正直、多いのではないかなぁなんて勘繰ってしまう位には綿密。スローペース。
 登場するキャラクターもこれまた多くて、誰が誰やらってなります。
読んでたら覚えますし、1巻で出て来るキャラクター全員が最後にはそれぞれ結末があるのでここは絶対に必要ですが、いやしかし入り辛いのは否めません。
 途中で入って来る劇中劇、僧の室井が執筆してる小説も小難しくて、またそこが敷居を高くしてる気がしないでもないですね。
ここは屍鬼の悲哀に通ずる部分でもあるので、これまた必要な部分である事に疑いの余地はありませんが、それでもここに来ると「ここか・・・」みたいな気持ちになったりもしていました。

 それぞれに思いがあり、葛藤があり。
そんな中で伝染病から話は屍鬼との対決にシフトして行くのですが、ここからが面白い!
今まで引っ張って来た部分をガンガン回収しつつ、悪趣味に、切なく美しく、無慈悲に展開させて行くこの手腕たるや。
「絶対に生き残るな・・・主人公ぽいし・・・」とか思ってたキャラクターも中盤で呆気無く屍鬼にやられてしまったりと意表も突いて来ます。
群像劇の強みですね、主人公の入れ代わりは。

 収束して行く終盤は筆舌し難い凄まじさ。
ここまで存分に積み上げただけあって、それが崩壊して行く虚しさと壮絶さは一読の価値あり。
しかし、ここで提示されるのは「屍鬼は悪なのか?」という答えの出しようのない命題であります。
彼等は好きで屍鬼になった訳ではなく、始祖の吸血鬼から生まれた犠牲者であり、生きて行く為に、死にたくないが為に人を襲うのです。
この悲哀を前提に、終盤では人間と屍鬼で立場が逆転します。見事な構成。

 誰が正しかったのか?誰が勝ったのか?
そんなどうにもならない疑問を残して幕を閉じる本作、確実に読んだ者の心に何かを植え付ける作品である事は間違いありません。
最初が退屈だと忌避する事なかれ、名作である。

蠅の王

【蠅の王】
著:ウィリアム=ゴールディング
文庫:442P
出版:新潮文庫


 飛行機事故で無人島に漂着した少年たち。
子供だけの世界で、彼等はどう生きて行くのか?というテーマを描いた作品です。
先に言っておくと、もうこの作品は醜悪としか形容のし様がありません。
ただただ暗い気持ちになりますし、何だったら胸糞悪い・・・
でも、読みやすく、そして読者を惹きつける魔力を持った名作という側面も否定し切れません。

 かなり丁寧に島の地理や風景であったり、キャラクター達を描写しており、その積み上げが中盤以降の瓦解のインパクトに一役買っています。
そう、最初は子供同士で協力し合って、無人島生活を何とか生き抜いて行くのです。
役割を決めて、彼等の中のルールを定めて。そこまでは良かったのです。

 が、やはり人とは業の深いもので、劣る者が存在する事や、リーダーを巡る争いで次第に分裂が進んで行きます。
集団で狂って行く、という事がどういう事なのかを丁寧に且つ力強い筆致で描かれるのですが、この職人芸には目を見張るばかり。
こんなにキャラクターが多いと訳分からなくなるだろう!なんて思っちゃうのですが、丁寧に整理した上で残酷な程に鋭く描き切っています。

 この作品で重要な意味を持つアイテムが1つあります。
「法螺貝」です。ぶおお~~~って鳴らすアレ。
あの音で皆が集まり、あの音の下に子供達が動くのです。これは島の中におけるコミュニケーションそのもののシンボルと考えています。
終盤ではそれが野生化していく少年たちによって破壊されてしまうのですが、ここはかなり印象的。
理性と秩序を唱える主人公とその友人の太った少年(劣る者)。
野生と暴力を走って行く少年たちの溝が永遠に埋まらないかを物語る様で悲しい。

 太った少年ことピギーは数多くの読者にとって、最も印象深い存在だったのではないでしょうか。
彼は常に主人公の少年と共におり、そしてかなり聡明で冷静。大人っぽい。
散々、周囲からはバカにされる彼でありますが、いつでも友人の少年だけは道理の中に居ました。
その彼の壮絶極まる最期もインパクトが強過ぎ、そして法螺貝の破壊以上にやりきれない気持ちになったのではないかと思います。
余談ですが、私は心に打撃すら負いました。

 タイトルにもなっている「蠅の王」。
これは神話に登場する「ベルゼブブ」と呼ばれる蠅の大悪魔の事であり、本作ではかなり象徴化されて登場しています。
それが野生化した少年たちに殺された豚の生首。それが棒に突き刺さって佇んでいるのです。
何たるビジュアル!ベルゼブブという悪魔をそんなビジュアルで描くその想像力に脱帽!
我々の中に等しくある悪意の象徴として、その豚の死骸=ベルゼブブは存在しているという、何とも漠然とした不安がこの作品を物語るかの様であります。

 ラストも素晴らしい。
呆気無い気がしないでもないですが、自分を除いてマトモな少年たちは死んでしまい、野生化した少年たちしか居ない島で孤軍奮闘。
追いに追われるその緊張感と疾走感は正にラストと呼べる手に汗握るシークエンスです。
その末に主人公や野生少年のリーダーは何を思ったのか。何を感じたのか。
どうなっていくのか。どうすれば良いのか。・・・考えるだに心が重くなります。
傑作。

クージョとウチの犬

 スティーブン=キングの小説で「クージョ」という作品があります。
大きな犬が狂犬病で凶暴になってしまい、飼い主の家族に牙を剥く話なんですが・・・
その綿密なストーリーの組み上げ方と、逼迫した緊張状態の演出が素晴らしい文句なしの名作なのですが、何より心を打たれたのはラストで書かれるクージョについての言及です。

 そのまんま引用してもアレなので、要約して書きますと――
「クージョは良い犬で居ようとしていた」
「男(一家の父)・女(母)・少年(息子)の命令なら何でもするつもりだった」
「死ねと言われれば死ぬ覚悟があった」
「人を殺したいなんて思った事も無い」
「しかし、狂犬病が全てを狂わせた」
「全ては彼の意思ではなかった」
そんな事が最後の最後で語られます。

 また、劇中で少年を襲いそうになって理性で抑えて去る等のシーンもあり、この最後の言及が如何に真実だったかを物語っています。
クージョという中堅の悲哀に胸が締め付けられるのですが、これを引き合いを出したのは犬について語りたくなったからです。

 我が家の犬は、茶と白と黒が混ざった非常に可愛い中型犬ビーグルのメスなのですが、彼女と初めて出会ったのは私が高校生の頃の事です。
突如として家に現れたその犬に随分と驚きましたが、仲良くやって行くぞ!と近寄る事にしました。
そして、噛まれました。
 兎に角、彼女は臆病でそれ故に牙を剥き易い性格で、少し人間不信のきらいが見受けられました。
更に言えば、彼女は活発。食欲も旺盛。頭も余り宜しくなさそうです。
これから一緒にやっていけるのか?と不安になりましたが、その不安はまぁ的中と言えましょう。

 食べる事に対する執着が異常で、食べちゃいけないモノを食べようとした時に「ダメ!」と割り込むと手を噛まれたりなんてのは日常茶飯事で。
私も私で若かったモノですから、彼女が言う事を聞かなければ怒鳴り付けてましたし、それに対して彼女もまた私に吠えるのです。
今にして思えば、それこそ本当に兄と妹の様な感覚なのかもしれません。仲は良いとは言えませんが。

 あれから何年経ったか・・・もう老犬になってしまった彼女は癌の転移で腹水が溜まり、階段を降りる事も出来なくなってしまったので散歩にも行きません。
丸々と太って、面影をそのままに老け込んでしまいました。
ですが、お互いに大人になった様で喧嘩はしませんし、何でしたらすり寄り合って遊ぶ事が多いです。
そしてね、食欲は相変わらず。というかかなり元気なおばあちゃんで私も癒されております。

 狂ってしまったクージョを彼女に被せていましたが、その本質があった様に、彼女もまた我々の最大の友なのだと日々、思うのです。
犬は・・・お犬様は、私達の永遠の友であります。