エクソシスト

【エクソシスト】
著:ウィリアム・ピーター ブラッティ
文庫:557P
出版:東京創元社


 言わずと知れたホラー映画の代名作「エクソシスト」。その原作小説です。
内容自体は殆ど同じですが、やはり心理描写は小説のが上ですし、そもそも持ってるテーマ性自体が大いに異なる様に見受けられます。後述。

 少女の家庭は外側だけを見れば平穏です。
しかし、内側を覗いてみると父の不在(離婚)に端を発して色々な問題が浮き彫りになっています。
例えば、少女は未だに父を愛している事。
例えば、母には最近、仲良くしている男が居る事。
例えば、母の少女に対する愛情は確かなモノである事に一切の疑いの余地が無いにも関わらず、母の娘を愛する視点は「娘を愛する」それだけに留まっている様な溝がある事。
色んな問題がドンドン提示されて行く。

 そうして、突如として少女は変貌し、怪奇的な現象も起こり始める。
母に接近していた男も死んでしまう。
どうにかしないといけない・・・母は娘を医学的に、或いは科学的に治療させる道を選んだのだが。そんな話です。
 本書の大半は、この少女の異変を医学的に。科学的に解明しようとする所に割かれています。
序盤で提示される少女の心理から、母の苦悩、そして最後に関わる様になって来る神父の苦悩が提示され続けるのです。
これらは正にラストの為の「積み上げ」と言えるでしょう。本当に長々と薄気味悪さの中に、色んな人間の苦悩が詰め込まれています。

 本書における軸は「母と娘」、広義では「親と子」という着地点になるでしょう。
今、何処ででも起こっているであろう親子の不和。
その延長線上に「悪魔」という存在があって、またそれに対抗して「真実の愛」を見詰め直す意味と意義を問うのです。
私が本書に感じる核は正にここであります。

 神父、という存在についても触れて行きましょう。
彼もまた親と子の問題の渦中に居る人物で、母に対する大きな負い目から信仰から遠ざかりつつあります。
しかし、それ以上に彼の持つ役割は大きい。
「善性と悪性の相剋」、その片側を担う人物なのですからそれはもう大きい。
 この善性という部分に、先述した「親子問題」も大いに関わっていると私は思います。
何故ならば、その着地点もまた愛であり、意志的で受容の精神に満ちた精神の世界を説く事に、親子問題の先と、善性と悪性の相剋の先を見たと言えば良いのでしょうか。この帰結に本書の美学が伺えます。

 こうして考えてみると、本書は肝となる悪魔祓いのクライマックスは意外にもかなり短く、アッサリしているのですが、にも関わらず大いに満足出来るのは、以上のドラマが確固たる仕上がりになっているからなのでしょう。
 全体のトーンは暗く、こちらの気分も参って来るのですが、それでも数々の問題に犠牲を出しながら答えを出すのにはカタルシスがあります。
 また、惨劇の悪魔祓いの後のエピローグのお蔭で、余韻も決して悪くはありません。
多くの人の苦悩の先に見えた幸福な未来の一端が見られた様に思えて、心に落ち着きが戻ります。

 まとめますと、キャラクター達の苦悩を前面に押し出した心情描写の数々。
彼等の心をかき乱す悪魔の邪悪さ。
ラストで全てが1つの美学へと収斂される美しさと儚さ。
そして、一抹の希望。
 これは最高のエンターテイメント、ドラマであり、大胆不敵な人間賛歌ですよ。
私はそう思います。オススメ。

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