【黒猫】
著:エドガー=アラン=ポー
文庫:280P
出版:集英社
エドガー=アラン=ポー。
誰もが名前くらいは聞いた事があるであろう小説家。並びに詩人でもあり、評論家でもあります。
彼のスタイルを一口で説明するのは困難に思われるのですが、ここは1つ、私から見てエドガーの作品がどんなモノか。その印象を書いておきましょう。
彼の作品・スタイルは「美学」と呼んで宜しいかと思います。
彼自身が美しいと思うモノ・・・それは或いは風景なのかもしれませんし、人物なのかもしれません。
または、視点でありテーマであり時代であり、それはもう色んなモノに対する美学――
詰まり、「それが美しい」と信ずる事を追求し続けた求道者という印象は拭えません。
短編小説にせよ、詩であろうとも、それは彼が道を往く中で追い求め、そして見つけ出して来た技法や論理によって幻想的・詩的に纏められています。
エドガー=アラン=ポーの作品は、エドガー=アラン=ポーでしか有り得ないという絶対性すら感じる程に、その世界の完成度は高いのです。
さて、私が彼の作品で最も好きなのは、この短編小説「黒猫」。
詩ならば「大鴉」なんてメジャーな所ばかりをチョイスしてしまうのですが、今回は黒猫に関して少々の感想を書き綴って参りたいと思います。
内容はそう難しいモノではありません。
プルートという黒猫を妻と共に可愛がっていた主人公でしたが、酒に溺れて行く内に癇癪持ちになってしまい、ある日、黒猫の片目を抉ってしまうのです。
以降、彼は自責の念に駆られ、そして次第にそれが苛立ちに変わり、今度は黒猫を吊るして殺してしまいます。
それから始まる、火事による屋敷の燃焼や壁に浮き上がる吊り下げられた黒猫の姿などに主人公は悩まされて行くのですが・・・
酒によって次第に狂って行き、黒猫を吊るし上げ、最後には妻まで手を掛ける主人公の狂気。
その心情の流れを追うだけで確かな恐怖は感じられます。
最後における結末も未だに「良く分からん」という声を多く見掛けますが、そんなに深く考えるまでもなく因果応報の結末であり、黒猫のプルート(冥界の神)という名前からも神秘の一端を垣間見る事が出来るかと思います。
本作で恐ろしいのは、やはり主人公であり、その主人公の中にある普遍性なのであります。
彼はそういった行動の源泉を「天邪鬼」だと分析しており、やってはいけない事だからやりたくなる、といった歪んだ考えが常にあるのです。
酒は付加された要素に過ぎず、そもそも彼にはそういう感情が渦巻いていたのでしょう。
主人公の在り方自体は極端ではありますが、この天邪鬼の性質は強ち我々に無いとは言い切れない様に思われます。
また、彼は黒猫を吊り下げる時に、酷く心に傷を負っています。
この描写の壮絶さと言えば何とやら・・・
憎いから傷付けるのではなく、愛するからこそ傷付けてしまう。という矛盾性が提示されており、それ故の苦痛と解放が演出されています。
要するに、天邪鬼はある意味で自己破滅願望の側面も持ち合わせており、正常と狂気の間で揺らぎがそれによって大きくなって行く恐怖が端的に、詩的に描かれているのが本作だと私は捉えています。
エドガー=アラン=ポーの美学。
「黒猫」においても、情景や心情において見て取る事が出来ます。
特に何気無い文章表現1つ1つに目を凝らしてみれば、彼の並ではない拘りと作家性が感じられる不気味ながらも美しさに彩られた傑作です。