寝る、そして夢

 滅多にある訳ではないのですが、私は頭痛に唸る時があります。
昨日などが酷い頭痛で非常に困っていたのですが、今回は・・・と思って、何も薬を服用せずに家で大人しくしていましたが、はてさて、頭痛が酷い時、人々はどうするのでしょうか。

 低気圧で痛くなる事もあれば、寝過ぎで頭痛なんてのもありますし、それこそ多種多様な頭痛な訳ですが、それごとに対処法を考える訳にもいきません。
といいますよりも、頭痛の種類ごとに特徴を挙げられる程の知識は持ち合わせていません。
そこで私が頭痛の際に頼るのは、もう1つのみ。


 「寝る」。

 寝るのは良いものです。
風邪も体調不良もとにかく、人体に異常を感じた時は一先ず寝るに限ります。
頭痛の時も寝るまでは行かずとも横になってボーッとしておくのがベターではないでしょうか。
余りにも酷い様なら病院に行った方が良いでしょうが・・・

 余談ですが、風邪の際には布団を重ねに重ねてそこに潜り込んで眠り続ける様にしています。
そして、2リットルのポカリスエットを数本、枕元に置いておく。
熱さや喉の渇きをそれで癒すのです。

 下手に風邪薬を服用しても、本来の抵抗力を弱らせる事もあろうと私はそんな方法で、いつも風邪に対応している次第であります。
インフルエンザなんかも、基本的に2日程で落ち着きます。
個人差があるでしょうし、改めて書きますが、とっとと病院行って薬を貰った方が良いでしょう。


 しかし、寝るという話になると付き物の様に付いて来るのが「夢」という話題。
昨今・・・という程の事ではないでしょうが、夢占いなんてのもありまして、こういう夢はこういう心理状態や健康状態、こういう予兆!みたいな話になるんだそう。

 私も良く夢を見ますが、時には大爆笑しながら起きたり、時には枕を涙で濡らしていたりと、それは中々にドラマ性に富んでいるみたいですね。
直ぐ忘れてしまうのが惜しい位です。
 その中でも忘れない夢というのはありませんか?
私は幾つかあって、それは怖い夢が多いのですが・・・
1つ何よりも鮮明で、それでいて美しさすら感じた夢があります。

 何て事はありません。
水の中に仰向けで沈んで行く夢です。
何処までも青く、何処までも黒かった様な気がする。そんな永遠に続きそうな水の中に沈んで行くのです。
 周囲に何かあったかと言えば、多分なかった筈。
何も無い部屋という様な印象で、壁からは水が静かに緩やかに流れていたと記憶しています。
それが反射でキラキラと綺麗に、不気味に光っていました。
そんな場所で私は沈んで行くのですが・・・その時に思った事は今でも忘れられません。

 「何と無く、多分なんだけど、このままだと俺は死んでしまう。」
そう感じて、跳ね起きたのです。
目覚めれば、それはいつもの部屋だったんですが、いやはや不思議にして美しい。
あのまま夢の中に居たら恐らく死んでいた!と今でも何の確証もないながら思い続けているのであります。

黒猫

【黒猫】
著:エドガー=アラン=ポー
文庫:280P
出版:集英社


  エドガー=アラン=ポー。
誰もが名前くらいは聞いた事があるであろう小説家。並びに詩人でもあり、評論家でもあります。
彼のスタイルを一口で説明するのは困難に思われるのですが、ここは1つ、私から見てエドガーの作品がどんなモノか。その印象を書いておきましょう。

 彼の作品・スタイルは「美学」と呼んで宜しいかと思います。
彼自身が美しいと思うモノ・・・それは或いは風景なのかもしれませんし、人物なのかもしれません。
または、視点でありテーマであり時代であり、それはもう色んなモノに対する美学――
詰まり、「それが美しい」と信ずる事を追求し続けた求道者という印象は拭えません。

 短編小説にせよ、詩であろうとも、それは彼が道を往く中で追い求め、そして見つけ出して来た技法や論理によって幻想的・詩的に纏められています。
エドガー=アラン=ポーの作品は、エドガー=アラン=ポーでしか有り得ないという絶対性すら感じる程に、その世界の完成度は高いのです。

 さて、私が彼の作品で最も好きなのは、この短編小説「黒猫」。
詩ならば「大鴉」なんてメジャーな所ばかりをチョイスしてしまうのですが、今回は黒猫に関して少々の感想を書き綴って参りたいと思います。

 内容はそう難しいモノではありません。
プルートという黒猫を妻と共に可愛がっていた主人公でしたが、酒に溺れて行く内に癇癪持ちになってしまい、ある日、黒猫の片目を抉ってしまうのです。
 以降、彼は自責の念に駆られ、そして次第にそれが苛立ちに変わり、今度は黒猫を吊るして殺してしまいます。
それから始まる、火事による屋敷の燃焼や壁に浮き上がる吊り下げられた黒猫の姿などに主人公は悩まされて行くのですが・・・

 酒によって次第に狂って行き、黒猫を吊るし上げ、最後には妻まで手を掛ける主人公の狂気。
その心情の流れを追うだけで確かな恐怖は感じられます。
最後における結末も未だに「良く分からん」という声を多く見掛けますが、そんなに深く考えるまでもなく因果応報の結末であり、黒猫のプルート(冥界の神)という名前からも神秘の一端を垣間見る事が出来るかと思います。

 本作で恐ろしいのは、やはり主人公であり、その主人公の中にある普遍性なのであります。
彼はそういった行動の源泉を「天邪鬼」だと分析しており、やってはいけない事だからやりたくなる、といった歪んだ考えが常にあるのです。
酒は付加された要素に過ぎず、そもそも彼にはそういう感情が渦巻いていたのでしょう。

 主人公の在り方自体は極端ではありますが、この天邪鬼の性質は強ち我々に無いとは言い切れない様に思われます。
また、彼は黒猫を吊り下げる時に、酷く心に傷を負っています。
この描写の壮絶さと言えば何とやら・・・
 憎いから傷付けるのではなく、愛するからこそ傷付けてしまう。という矛盾性が提示されており、それ故の苦痛と解放が演出されています。
要するに、天邪鬼はある意味で自己破滅願望の側面も持ち合わせており、正常と狂気の間で揺らぎがそれによって大きくなって行く恐怖が端的に、詩的に描かれているのが本作だと私は捉えています。

 エドガー=アラン=ポーの美学。
「黒猫」においても、情景や心情において見て取る事が出来ます。
特に何気無い文章表現1つ1つに目を凝らしてみれば、彼の並ではない拘りと作家性が感じられる不気味ながらも美しさに彩られた傑作です。

雪の日

 1月22日、都市は雪に覆われた!!
いやはや、驚きですね。こんな大雪は随分と久し振りな気がします。
去年は東京に居ましたが、雪が降ったのは2日ほどで今回ほどゴッソリ積もらなかったと記憶しているのですが、今回は凄まじかった!

 ここまでの積雪は近い記憶では、もう10年以上を遡らなければなりません。
私が中学生だった頃、割と田舎寄りの所に住んでいたのですが、そこでも大いに雪が積もり、水はカチンカチンに凍り、そして雪は不味かった・・・
 懐かしいですね。
私の家から中学校までの通学路の間に、かなり急な坂があって、ある日にはもう滑って滑って帰れなかった事があります。
道路の真ん中は凍り付いててツルツル滑って、とても歩けません。滑って下まで落ちるだけです。
それで、私達は両端の雪が積もってる部分を歩くのですが、それでも滑って何度もコケて、前を歩く同級生の女子なんかが「わー」と坂をずり落ちるのを大笑いしながら見ていたものです。
私も落ちましたが。

 と、昔の事に想いを馳せてて思い出しましたが、その数年後。
大学生時分の時も大雪がありましたね。
あの時は暇だったので、近くの森の中に入っていって白銀の木々を見詰め、その空気に酔っていました。
雪の積もった切り株の上に座ってですね、ボンヤリと周囲や雪の降る空を眺めるのです。
何の実りも無い事をしている気がしないでもないですが、いやいや、そういう閉じた世界の中に身を投じるのもこれがまた乙なのであります。

 さてさて、今回の大雪・・・久し振りでハシャいでしました。
家に帰って来たのが夜。それで温かい夕飯を済ませて、風呂入って寝れば1日が終わりでしたが、そういう訳にも行かず、私はスマホだけを片手に飛び出しました。
慣れない長靴を履いて。
 雪が積もり積もった近所を練り歩き、そのまま、昔の様に森の中へ・・・
前回は朝に行きましたが、今回は夜です。
またボンヤリするのか?と見せ掛けて、どうにも今回は大ハシャぎ。
まるで子供の様に遊びました、お恥ずかしい。

 雪玉作ったり、わーわーのたまいながら雪にダイブしたり、傍から見れば完全に危ない人であります。
図体だけ大きくなって、中身は子供の時のままみたいです。でも、楽しいから良いじゃない。
個人的には、そんな馬鹿げた童心をまだ持ってる事は救いでもありまして、偶にそんな風になれるならまだ視点は狭まっていないかな?なんて知ったような事を想うのであります。

 来年は、また積もりますかね。

ループ

【ループ】
著:鈴木光司
文庫:432P
出版:角川文庫


 リングシリーズ3作目。もう完全にSFです。
この飛び具合は凄まじいとしか言い様がないのですが、イメージとしては「マトリックス」とかそういう類の映画に近いと考えて頂ければ先ず間違い無いです。
よくもまぁ、呪いのビデオからここまで来たモノだ!

 前作からの繋がりは序盤では全く分かりません。
いきなり話が飛んだ様に、何処かの一般家庭の様子が少々のエロシティズムと共に描かれます。
 「生命」という概念がストーリーの根底にあるので、そういう“営み”だとかの要素を提示して来るのはいま思えば納得に足ります。
初っ端からそういう描写や、小難しい理論的な話が展開されますが、コレが意外に面白い。
そういう考え方もあるのか的な面白さがあって、単純に知識欲というか好奇心の様なモノがくすぐられる感覚です。

 もう書いてしまいますが、というかここを書かないと何も語れないので書いてしまいます。
「リング」と「らせん」の世界は仮想世界で、本書「ループ」での世界こそ現実の世界というトンデモ過ぎる前提があります。最初はかなりビックリしました。
 プログラムで作られた仮想の世界で起きていた事が今までの事であり、貞子とはバグ。もっと言えばコンピューターウイルスの様な存在であったのです。
ここで「ふざけるな!」と言って本を閉じた人は居るのでしょうか・・・?
居ても不思議ではないのですが、何だか居ない気もするのですよね。
トンデモ過ぎますが、そこへと引き込んで行く力強さが本作にはあるんです。

 転移性ヒトガンウイルスという病気が蔓延し、それをどうにかしようという主題が仮想世界におけるウイルスとの戦いがリンクし始めるストーリーテリングは巧みで、外連味たっぷりで描かれています。この流れる様なテンポ感は読んでて辛く無いです。

 ただ、どうしても鈴木氏の描く男女関係は生々しい。
「リング」では貞子と父の関係、「らせん」では主人公の安藤や高野・貞子といった関係性、「ループ」では主人公と子持ちの人妻。
 ショッキングなのは、闘病中の子供が治療されている間に主人公と人妻が欲望マックスで関係を持ち、それを見ていた子供が絶望から投身自殺を遂げるくだり。
必要な箇所ですが、何が悲しくてこんな胸糞悪すぎる話を読まなければいけないんだ、なんて思ってしまったり。

 しかし、それこそ感動というやつです。
感情が動くから感動。何も涙するだけが感動ではありません。
それだけのパワーが鈴木氏の作品にはあって、それは確かに文章力と表現力によって支えられている事が良く分かります。

 終わり方はかなり綺麗です。
この後も「エス」や「タイド」といった続編が出されましたが、シリーズはここで完結で良かったのではないだろうかと思います。
ささやかながら僅かな希望を提示し、多くの人が救われたに違いないであろうと想起させるラストは文句なしです。読後感もスッキリ。

らせん

【らせん】
著:鈴木光司
文庫:432P
出版:角川文庫


 「リング」の続編であり、シリーズの2作目です。
前作はミステリーやホラーというジャンルが適切かと思われますが、本作はSFです。
いえ、まだ辛うじてホラー的な要素はある気がしないでもないですが、SFで良いと思います。

 解答編という趣が強く、貞子の目的が明確になり、呪いの正体もどんどん明かされて行くのですが、そこに軸として「感情」を捻じ込んでいるのは上手いなぁと唸るばかり。
 主人公は解剖医で、息子を事故で亡くしています。
生きる事に投げやりな彼は、前作の主人公の一角であった教授の司法解剖を担当した事から呪いのビデオを巡る事件に巻き込まれて行くというストーリーです。

 私は実はシリーズの中では本作が一番好きで、それが何故かと言えば、この主人公である安藤のキャラクター造形に依る所が大きい様に思われます。
 彼は息子を救えなかった負い目から自殺すら考える程に、生きる事に対して執着が非常に薄いです。自責の念に苛まれつつも、人並みに欲望を持つ人間でもあります。
 教授の教え子だった高野舞に対する劣情であったり、出会ったばかりの女(それが蘇った貞子だったのだが)と直ぐに肉体関係を結んだりと、自暴自棄を通り越した何かどうしようもない感じが彼には漂っているんですね。

 最終的に彼が取る決断も、端的に申しますれば、息子を取り戻す代わりに世界の破滅に手を貸したという事であり、息子と世界を天秤に掛けた人間です。
息子を取る事自体は何も変ではありませんし、そういう「感情」を利用する貞子の悪魔性が際立って非常に宜しいのですが、主人公の心情にはどうも美談と成り得ない側面が感じられます。
 彼が息子を愛していたのは間違いないとは思うのですが、端々から感じられる「自身の救済の為」であったり、「妻と寄りを戻したい」といった様な感情が見え隠れします。
貞子や最後に姿を見せる黒幕も十二分に悪魔ですが、主人公も負けない悪魔だと私は感じてしまいます。

 そして、それが気に入らないとかではなく、逆に私は本作でそこを最も評価しています。
主人公の等身大の醜さが、本作における最大の恐怖として作用しているから良いのではないでしょうか。
私も多分、本作の主人公と同じなのです。共感し得る所があるのです。
そこが重く圧し掛かり、だからこそ本作が好きだと言えるのかもしれません。

 ラストシーンの美しさとヤバさは書き記しておきたいですね。
曇った空の下、海辺で交わされる会話のディストピア感。
主人公と再生した息子はこれから、どんな世界を目の当たりにするだろうという不穏な余韻として提示され、そして驚愕なのは――
 小説という表現媒体を利用した圧倒的な恐怖の提示!
これは凄い!ヤバい!そう来たか!とビックリする事間違いナシです。
前作を読んでる事が前提の本作(読んでないと意味が分からない)だからこそ出来た仕掛けです、コレは。やってくれたな!

リング

【リング】
著:鈴木光司
文庫:331P
出版:角川文庫


 日本を代表するホラークイーン「山村貞子」が初登場した記念碑的作品です。
このシリーズ、映画の様にホラーかと言えば、実はそうでもなくてどちらかと言えばミステリーとSFが上手い具合に融合した作品群なのです。
 貞子も悪霊とかそういうのよりは、哀しき過去を背負った邪悪なプログラムという様な造形で、映画とは一味も二味も違った魅力が楽しめます。

 本書はシリーズの第1弾で、この頃はまだ辛うじてホラー的な要素は生きています。
4人の若者が同時刻に心臓麻痺で死亡し、その事件を追う主人公と知り合いの大学教授の姿を描いています。
 心臓麻痺の原因は「呪いのビデオ」であり、それを作ったのが貞子という25年前に既に死亡している人物である訳ですが、作中の殆どはこの呪いのビデオの解析に費やされています。

 ここが本書の非常にユニークな点で、割と科学的なアプローチでビデオの解析が主人公と教授によって行われて行きます。
 その肝心のビデオのビジュアルもよくぞ思い付いた、という一種の驚きに繋がり、例えば賽に振られるサイコロであったり、人々の非難の声と数々の顔であったり、謎の老婆や胎児であったりと枚挙に暇が無いおぞましい描写で想像力を掻き立てられます。

 解明がここでの肝でありまして、例えばビデオに映っていた山は何処だ?とか、老婆が発した言葉はどういう意味で何処の方言だ?とか・・・
 特に面白い着眼点に思えたのは、ビデオに度々入る暗転の様な部分。
これを教授は「人の瞬きではないか」と推測しますが、ここから超能力(念写)という概念を自然な形で織り込ませるのは綺麗。

 タイムリミットがあるのも「そうでなくては」という所。
7日という制限時間があるからこそ、ビデオの解明で出て来た場所を巡って、呪いを解く方法を探るもどかしさに味が出ます。
 主人公自身の命、その妻と息子の命、教授の命が掛かっているからこそ重圧や緊張感が演出されるので、タイムリミットに対する主人公の苛立ちは我々の共感する所であり、また恐怖を感じる所である様に思われます。

 色んな事実が明らかになって行きますが、特筆したいのはラストの井戸におけるワンエピソード。
巡り巡って灯台下暗しな舞台に戻って来るのがニクいのですが、その場所の地下にあった古井戸はかなり印象的で、本作を象徴するかの様な仄暗さ。
 井戸の底で只管に水をくみ上げ、貞子の遺体を引き揚げて呪いを解こうとするのですが、タイムリミットは目前の上に場所が場所ですからね。
ここの尋常では無い薄気味の悪さと緊張感は凄いです。

 オチにしても、一抹のやりきれなさを残します。
であると同時に、貞子が本物の悪魔の様に感じられ、じわりとした恐怖を覚えるのであります。

エクソシスト

【エクソシスト】
著:ウィリアム・ピーター ブラッティ
文庫:557P
出版:東京創元社


 言わずと知れたホラー映画の代名作「エクソシスト」。その原作小説です。
内容自体は殆ど同じですが、やはり心理描写は小説のが上ですし、そもそも持ってるテーマ性自体が大いに異なる様に見受けられます。後述。

 少女の家庭は外側だけを見れば平穏です。
しかし、内側を覗いてみると父の不在(離婚)に端を発して色々な問題が浮き彫りになっています。
例えば、少女は未だに父を愛している事。
例えば、母には最近、仲良くしている男が居る事。
例えば、母の少女に対する愛情は確かなモノである事に一切の疑いの余地が無いにも関わらず、母の娘を愛する視点は「娘を愛する」それだけに留まっている様な溝がある事。
色んな問題がドンドン提示されて行く。

 そうして、突如として少女は変貌し、怪奇的な現象も起こり始める。
母に接近していた男も死んでしまう。
どうにかしないといけない・・・母は娘を医学的に、或いは科学的に治療させる道を選んだのだが。そんな話です。
 本書の大半は、この少女の異変を医学的に。科学的に解明しようとする所に割かれています。
序盤で提示される少女の心理から、母の苦悩、そして最後に関わる様になって来る神父の苦悩が提示され続けるのです。
これらは正にラストの為の「積み上げ」と言えるでしょう。本当に長々と薄気味悪さの中に、色んな人間の苦悩が詰め込まれています。

 本書における軸は「母と娘」、広義では「親と子」という着地点になるでしょう。
今、何処ででも起こっているであろう親子の不和。
その延長線上に「悪魔」という存在があって、またそれに対抗して「真実の愛」を見詰め直す意味と意義を問うのです。
私が本書に感じる核は正にここであります。

 神父、という存在についても触れて行きましょう。
彼もまた親と子の問題の渦中に居る人物で、母に対する大きな負い目から信仰から遠ざかりつつあります。
しかし、それ以上に彼の持つ役割は大きい。
「善性と悪性の相剋」、その片側を担う人物なのですからそれはもう大きい。
 この善性という部分に、先述した「親子問題」も大いに関わっていると私は思います。
何故ならば、その着地点もまた愛であり、意志的で受容の精神に満ちた精神の世界を説く事に、親子問題の先と、善性と悪性の相剋の先を見たと言えば良いのでしょうか。この帰結に本書の美学が伺えます。

 こうして考えてみると、本書は肝となる悪魔祓いのクライマックスは意外にもかなり短く、アッサリしているのですが、にも関わらず大いに満足出来るのは、以上のドラマが確固たる仕上がりになっているからなのでしょう。
 全体のトーンは暗く、こちらの気分も参って来るのですが、それでも数々の問題に犠牲を出しながら答えを出すのにはカタルシスがあります。
 また、惨劇の悪魔祓いの後のエピローグのお蔭で、余韻も決して悪くはありません。
多くの人の苦悩の先に見えた幸福な未来の一端が見られた様に思えて、心に落ち着きが戻ります。

 まとめますと、キャラクター達の苦悩を前面に押し出した心情描写の数々。
彼等の心をかき乱す悪魔の邪悪さ。
ラストで全てが1つの美学へと収斂される美しさと儚さ。
そして、一抹の希望。
 これは最高のエンターテイメント、ドラマであり、大胆不敵な人間賛歌ですよ。
私はそう思います。オススメ。

少女地獄

【少女地獄】
著:夢野久作
文庫:288P
出版:角川文庫


 世紀の奇書「ドグラ・マグラ」で有名な夢野久作による名作短編集。
3編で構成される表題作「少女地獄」の他にも「童貞」「けむりを吐かぬ煙突」「女抗主」などを収録しています。
今回は表題作から、内の2編を紹介して行かせて頂きます。


 【少女地獄――何んでも無い】

 少女地獄の中で最も有名な話ではないでしょうか。
3編共に少女たちが作り出した地獄に自ら堕ちて行く物語でして、特にそれがストレートな形で描かれているのが、この「何でも無い」ではないかと思います。

 主人公は姫草ユリ子という美少女。
彼女は誰からも好かれ、言動も仕草も愛くるしく、仕事をさせても一級な完全無欠の美少女。
既にこの設定だけでご飯3杯行けそうですが、それで済んでは困ります。
そんなに出来た人間でありながら、彼女にはどうしようもない悪癖があり、それこそが「虚言癖」であります。
嘘を吐かずにはいられない性分なのです。

 この話は詰まり、姫草ユリ子という美少女が嘘という空想によって、あらゆる人々を翻弄し(それこそ仕事先の医者たちや同僚のみならず警察といった規模まで動かす)、そして嘘という空想によって追い詰められて自身が破滅してしまう話であります。
 その過程が書簡形式で綴られて行きます。
書簡形式とは、簡単に言うと、キャラクター同士のお手紙でストーリーを追う感じの形式の事です。

 姫草ユリ子の嘘は「天才的」と作中で言及されていますが、それは本当にその通りで読者も「嘘の天才だ」と認識する点に於いて、これは異論は発生し得ないのではないでしょうか。
それほどまでに、姫草ユリ子の造形に説得力があり、だからこそ作者の卓越した筆致が伺えます。ここが1つ、素直に感心した点であります。

 嘘を吐いて、それを隠す為に更に嘘を吐いてという空想の地獄が形成されて行く様を追っていると居た堪れない気持ちになるのは私だけでしょうか。
それ程までに真に迫り、また自身にも嘘の上の嘘を重ねた経験から異質の恐怖を覚えるに至ります。
何度も当ブログで挙げている普遍性を持った恐怖が、ここにはあります。

 ところで、姫草ユリ子は自身の嘘で身を滅ぼしましたが、何故に彼女は嘘を吐かねばならなかったのでしょう?
彼女ほどの人間であれば、嘘なんぞ吐く必要がまるで無く、嘘さえ吐かなければその人生は彩られていたに違いのです。
 恐らくは、彼女の過去と共にある異常な程に強過ぎる承認欲求。それを満たしたかった、常に完全で居たかったという心理は何と無く推し量る事が出来ます。

 「自分の外の全てに認められる、評価される、好かれるという空想」が彼女を生かしたのであれば、彼女を死なせた空想とは「全ての嘘がバレてしまった、欠点が生まれた、もう生きていてはいけない」というモノだったのかもしれません。
 何処まで行っても人間臭さを姫草ユリ子に理論的には感じられます。
しかし、私は矢張り何度、この話を見返しても彼女が怪物だった様にしか思えません。
不思議な、とても不思議な感覚です。


 【火星の女】

 コチラも「何んでも無い」と同じ位に、もしくはそれ以上に好きな作品です。
容姿にコンプレックスを持つ少女が、大人によって穢され復讐を誓うという物語なのですが――何とも壮絶極まります。

 無力で、それでいて華も無い少女が失われた処女性の中に苦しみ、憎悪し、復讐を果たさんと右往左往する様は地獄。地獄と形容する他にありません。
その地獄の末に「敵」と呼べる男の失笑間違い無しのスピーチに呆れ返り、少女が遺した手紙で痺れます。

 このラストの手紙が素晴らしい。特に締め方。
物語の締めの一文が本当に素晴らしいのです。
「私の肉体は永久に貴方のモノですから・・・ペッペッ・・・」
ペッペッがとても好きなのですよ、私は。
唾を吐き掛けるその一文に、諦観や矜持といった色んな感情が集約されている気がします。
この終わり方だけで、もう随分と痺れました。

探偵を捜せ!

【探偵を捜せ!】
著:パット=マガー
文庫:242P
出版:東京創元社


 変則推理小説をここで出してみましょう。
もうタイトルが全てを物語っていますが、詰まり、本書は「探偵が犯人を見つける話」ではなく、「犯人が探偵を見つける話」なのです。
この着想がかなり面白いですね。

 主人公は若妻、遺産目当てに夫を殺害したのは良かったものの、夫は死の前に探偵を呼び寄せていた・・・
山荘を営んでいる事もあって、客が数人やって来るのでその中から探偵を見つけ出して始末しないと自分の身が危ない!
そんな面白過ぎるシチュエーションで展開されます。

 本作品は「のろわれた山荘」という別題を持っておりまして、そのタイトルでも出版されていますが、そちらは簡易版。
かなりシンプルに短く纏められており、コチラが言ってしまえばディレクターズカット版という豆知識もここに記しておきましょう。

 さて、内容の動きは非常にユニークです。
序盤の犯人による夫殺害までのシークエンスは嵐の前の静けさ。
少々、どん暗い気持ちになってしまいますね。
病床の夫の立場もそうでありながら、犯人の生い立ち故に金に対する執着など綿密に設定がなされています。

 客が現れ出してから本番。誰が探偵か分からない!
時には色仕掛けを使ったりしつつ、探偵を炙り出して行く犯人の姿は滑稽でありながら読者たる我々も煙に撒かれてしまいます。
コイツだ!と目星をつけてどんどん殺人を繰り返して行く犯人ですが、その度に「違う!」とどんどん精神的に追い詰められて行く心理も丁寧に描かれているのが非常にグッドです。

 遂には、実は探偵は女なのでは?男みたいな名前なだけで、実は女なのでは?と女性客にも手を出して行く犯人。
「疑心暗鬼」という言葉が全てを象徴する様に物語は展開して行きます。
 流石に犯人に感情移入は出来ないものの、追い詰められた時の精神状態というのは何と無く分かる気がするので、コチラも手に汗握ってしまいます。
それは、どちらかと言えば「探偵!やられないでくれ!コイツを裁いてくれ!」という視点ではあるのですが・・・

 ラストは何だかドラマチック。
山荘を抜け出して、吹雪の中の山で最後の対決を迎えます。
お金掛かった火曜サスペンス観てる気分にならない事もないですが、盛り上げる所は確り盛り上げて来るのがニクいですね。

 それにしても・・・いや、それにしてもですよ。
探偵があんま何もしてない気がするのですが、そこん所はどうでしょ。
割とポンコツじゃないですかね、この探偵!笑えるけど、ダメだろ!

私の田舎の祭り

 「夜市」という小説があります。
恒川光太郎氏による幻想ファンタジー小説で、私の好きな一書であります。
 表題作の「夜市」と「風の古道」の2編を収録しておりまして、恒川氏の無駄の無いサラリとした文章と、内容の圧倒的スケール感および唯一無二の想像力に支えられる美しい色彩とが綺麗に融合しており、非常に心地よく読めます。

 また、2編共に人間美学とも言うべきドラマがピンと決まっており、読後感は爽やか。
それこそ、ふぅと静かな緑の中で風が吹き抜ける様な情緒に溢れております。
とすれば、優しさに溢れる情緒と共に一種の切なさ。儚さを想起させる側面も持っており、こういった感覚を抱く小説というのも中々に稀なのかなと思いますね。


 【夜市】

 異界の者達が集う夜市を訪れた主人公と同級生の女の子。
夜市では独自のルールがあり、売買が成立しない限りは決して外に出る事が出来ません。
非常に面白い設定ですよね。色んな広がり方があると思います。

 主人公は過去にも弟と夜市を訪れており、その時は「野球の才能」を「弟」で売買しました。
しかし、主人公はその負い目と後悔から必死にお金を貯めて、再び弟を取り戻すべく夜市に舞い戻ったのであります。

 第一に、夜市の描写の美しい事。楽しい事。
異形の者どもが跋扈するその異空間はイメージとしては田舎の夜の屋台が立ち並ぶ祭り。
そこを練り歩き、色んな商品や物の怪の姿が描写されるだけで圧倒されてしまいます。
 そこから弟を巡る展開もドラマチックです。
今も生きているが現世の人間ではなくなってしまった弟の「今まで」を描きつつ、別の世界を巧みに描いています。

 そして、最後に迎える結末も切なく、何にしても美しい。
人間美学の一端を垣間見た短編ながら涙を誘う力作です。


 【風の古道】

 コチラの方が好き、という方を多く見掛けますね。
確かにコチラの方が壮大で、美しさもより磨きが掛かっている様に思えます。
私どもとしては、どちらも甲乙付け難いのですが・・・

 子供の2人組が見知らぬ古道に迷い込み、そこから脱出すべく彷徨い歩くという話で、時は凄い勢いで経過し、ただの長い長い古道からどんどん世界は拓けて行きます。
この順序立てた、或いは順当な盛り上げ方は読者を不思議な世界へ誘う道標として機能しますし、単純に盛り上げて行きます。

 こちらでも人間美学的なドラマは遺憾なく発揮されています。
長い冒険の末に得たモノと失ったモノ、その両方が読後に我々の前をすり抜けて行く様な・・・そんなタイトル通り、儚い風を感じさせる美しい1編でした。


 という感想も入れた上で、お祭りの話がしたかっただけです。
本書に一番感じるのは「郷愁」という感情に最も近い気がしてまして、それは小さい頃に住んでいた田舎での小さな小さなお祭りであります。
集会所がセットになっている公園でやってまして、屋台が少しだけ出ましてね。
懐かしいのはそこで老人のマジックショーであったり(紙が素うどんに変わるというマジックでした)、アニメ「あんみつ姫」を何故か上映したり(公園なのに)・・・

 夕方の18時くらいから始まって、遊びに行くのです。
同じ学校の友達と出会って、遊びながら祭りを楽しんだ記憶が「夜市」を読んでるとふと思い浮かんで来ます、不思議な感じですね。
もうあの祭りはやってないのではないだろうか・・・どうでしょう、もう何十年も経ってしまい、人も減ったみたいですし。
いつかまた遊びに行ってみようかな、なんて。